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廣済寺の歴史

概略

三股町を含む都城北諸県地区は数百年前より島津氏の統治下にあったため戦国時代末期に同家がとった真宗禁制により念仏をいただくことのできない暗黒の時代が続きました。私たちのご先祖は、人目に付かない洞窟の中でひっそりとお念仏の信仰の光をともし続け、現在でも「かくれ念仏洞」としてそのご苦労がしのばれます。
その後、明治に入ってからも、実質的な禁制は続き、ようやく禁制が解除されたのは明治九年九月のことでありました。
明治11年2月、廣済寺は当初、本願寺説教所として創建されました。当説教所は旧薩摩藩内五番目、当地域では三番目に開設された説教所でした。その説教所が、明治19年1月に本願寺より寺号公称が認可され、廣済寺と寺号を名のり、現在に至ります。

廣済寺のあゆみ

明治11年2月
旧薩摩藩内五番目、当地域では3番目の本願寺説教所として創建
明治11年6月
仮本堂落成(間口七間・奥行六間半)
明治19年1月
寺号公称が認可され当時の主管者 木村顕真師が明治26年まで勤務、翌27年2月 福澤哲明(直入院・福岡県出身)が開基住職として就任
明治44年2月
本堂が完成(間口十間・奥行十三間半、都城攝護寺の旧本堂を移築)
明治44年3月
本堂落成慶讃法要が盛大に厳修
大正3年6月
鐘楼の新築及び庫裏の改築が竣工
大正4年3月
鐘楼・庫裏の落慶法要
大正5年9月
第二世住職として敬信(順信院・滋賀県出身)が就任
大正7年3月
4日間、宗祖親鸞聖人650回大遠忌法要を厳修
大正9年5月
廣済寺仏教婦人会を結成
大正13年10月
現山門が落成
昭和27年7月
第三世住職として、不二子(浄光院・広島県出身、昭和9年4月入寺)が就任
昭和33年10月
三股町内初の常設保育所を開設(三股中央保育園)
昭和37年5月
宗祖親鸞聖人700回大遠忌法要を厳修
昭和38年4月
三股町内に幼稚園を開設(みまた幼稚園)
昭和40年4月
晃遠(広島県出身、昭和31年4月入寺)が第四世住職に就任
昭和41年4月
都城市に幼稚園を開設(一万城幼稚園)
昭和51年7月
広済寺仏教壮年会を結成
平成14年11月
廣済寺本堂平成大修復工事が竣工
平成15年4月
廣済寺本堂大修復落成慶讃法要ならびに門徒物故者総追悼法要を二日間にわたって厳修
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